フィリピン歴史

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フィリピン歴史①ガレオン貿易

スペイン国王の援助を受けたマゼラン艦隊が、16世紀に太平洋を渡りフィリピン諸島にたどり着きます。当時は大航海時代ですから、アメリカ大陸を発見したクリストファー・コロンブスも航海を行っています。マゼランはポルトガル人、コロンブスはイタリア人で、当時最強を誇っていたスペイン王国と関係があるようです。

その後、スペインは艦隊を続けてフィリピンへと送り、レガスピが初代総督となります。レガスピはセブ島に拠点を置いてフィリピン諸島の征服に着手します。

同時進行でウルダネタ将軍は、 ヌエバ・エスパーニャ (アステカ帝国を征服した後のメキシコからアメリカ、キューバまでまたがる大帝国)を設立し、メキシコシティを首都としました。

レガスピはマニラをスペイン領東インドの首都と定め、そこからマニラとメキシコのアカプルコを繋ぐ交易ルートが開かれ、ガレオン船によるガレオン貿易が始まるのです。

マニラから香辛料や陶器などの品物がアカプルコへ送られ、経由してスペイン王国へと送られていました。このように歴史を俯瞰して見てみると、交易のルートを握る者が世界の覇権を取ることがよく分かります。

加えて、交易というのは世界のダイナミックな動きを感じられる非常に面白いビジネスです。フィリピンとのルートがあったからこそ、スペインはより一層繁栄できたことは間違いないでしょう。


フィリピン歴史②スペインの支配に立ち向かう首長ラプラプ

今日はフィリピンの歴史について、また書いていきます。前回はガレオン貿易について説明しました。16世紀の当時、世界の覇権はスペインにありました。無敵艦隊とされたスペインは、大航海時代の恩恵を受けて、大西洋を越えてメキシコ、太平洋を越えてフィリピンをその支配下に置き、アカプルコとマニラを結ぶガレオン貿易を行い、ヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)を達成しました。

洋の東西支配をしたスペインはフィリピンをスペイン領東インドとして活用していきます。スペインの支配は長く続きますが、しかし支配が長ければ長いほど、必ずその支配を覆す革命家が登場するのが歴史の面白いところです。それがフィリピンの英雄であるホセ・リサールなのですが、その前に今回はマクタン島の首長ラプラプの話をしたいと思います。

ガレオン貿易が本格的に始まる前のフィリピンの首都はセブでした。それは、マゼランが到達した場所がセブであり、そこからフィリピンの近代史が始まっていくのですが、マゼランはキリスト教の布教に熱心であり、セブ王たちは比較的寛容にキリスト教を受け入れていったようです。サントニーニョ教会にはサントニーニョ(幼きイエスの像)がありますが、マゼランがセブの女王に贈ったものとして有名であるように、飛ぶ鳥を落とす勢いでキリスト教に改宗させています。

そんな中でも、キリスト教への改宗と服従を拒否した人物がおり、それがマクタン島の首長ラプラプです。部族の首長であり、イスラム教徒であるラプラプは、マゼランの要求を拒否ったことで怒りを買い、マゼランはマクタン島に攻め込みました。そして「マクタン島の戦い」が始まります。

マクタン島の地理や潮の満ち引きを知り尽くしていたラプラプは、周到な戦略を練り、マゼラン軍を迎え撃ちます。海岸付近に船を停めることが難しくなったマゼラン軍は船を下りて戦うことになりましたが、そこでラプラプたちは返り討ちにしました。そしてマゼラン軍を退却させるまでに至るのです。

その抵抗と勝利によって、ラプラプは英雄とされています。マクタン島の最大都市はラプラプ市と命名されていまし、ラプラプという名前の魚もいますし、なにより現大統領ドゥテルテがラプラプの日というのを4月に設けて称えています。


フィリピン歴史③建国の父ホセ・リサール

南米の革命家といえばチェ・ゲバラですが、フィリピンの革命家といえばホセ・リサールです。チェ・ゲバラは戦略的な武闘家という感じですが、ホセ・リサールは「ペンは剣よりも強し」のような知的なインテリゲンチャでした。またフィリピン人らしく、世界中の様々な国の女性と恋愛するルパン的な要素を兼ね備える人物です。

ホセは、スペイン領東インドだった時代、中国人とフィリピン人の混血の家族の元に生まれました。祖先を遡ると日本人もいるとのことですが、本当なのかわかりません。小作農として農学を学び、土地測量などの技術を学んでいたリサールですが、母親が病気になったことを期に医学を学ぶことになりました。孫文とかチェ・ゲバラもそうですが、医者って革命家になりますね。

スペイン語も堪能だったリサールは、スペイン政府からも評価され、宗主国であるスペインへ留学することになりました。留学時には医学と哲文学を学び、ヨーロッパのあらゆる言語を取得、日本語や中国語すらも学習したそうです。スペインのマドリードでの留学が彼に気づきを与えました。フィリピン人がスペイン人に劣っているわけではない、足りないのはただ教育の機会だと。

そこからリサールは、小説を書いて民衆を啓蒙し、スペイン支配からの脱却を目指していきます。しかし、フィリピンに戻ってきて出版した小説がスペイン支配層の目にとまり、再度リサールは留学に出発します。その時に立ち寄ったのが日本でした。日本に滞在した際に、ある日本人女性に恋心を抱いたらしいです。そんなこともあってか、今でも東京の日比谷公園にホセ・リサールの銅像が置いてあります。日本とも縁があったのですね。


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