フィリピン歴史③建国の父ホセ・リサール


リサール公園の銅像

どうも、海外侍の義貞です。

フィリピン歴史③ということで、今回はホセ・リサールの話です。ホセ・リサールはフィリピン人にとって史上最高の英雄とされている人物です。スペインの圧政に、明晰な頭脳をもって立ち向かった革命家でした。

南米の革命家といえばチェ・ゲバラですが、フィリピンの革命家といえばホセ・リサールです。チェ・ゲバラは戦略的な武闘家という感じですが、ホセ・リサールは「ペンは剣よりも強し」のような知的なインテリゲンチャでした。またフィリピン人らしく、世界中の様々な国の女性と恋愛するルパン的な要素を兼ね備える人物です。

ホセは、スペイン領東インドだった時代、中国人とフィリピン人の混血の家族の元に生まれました。祖先を遡ると日本人もいるとのことですが、本当なのかわかりません。小作農として農学を学び、土地測量などの技術を学んでいたリサールですが、母親が病気になったことを期に医学を学ぶことになりました。孫文とかチェ・ゲバラもそうですが、医者って革命家になりますね。

スペイン語も堪能だったリサールは、スペイン政府からも評価され、宗主国であるスペインへ留学することになりました。留学時には医学と哲文学を学び、ヨーロッパのあらゆる言語を取得、日本語や中国語すらも学習したそうです。スペインのマドリードでの留学が彼に気づきを与えました。フィリピン人がスペイン人に劣っているわけではない、足りないのはただ教育の機会だと。

そこからリサールは、小説を書いて民衆を啓蒙し、スペイン支配からの脱却を目指していきます。しかし、フィリピンに戻ってきて出版した小説がスペイン支配層の目にとまり、再度リサールは留学に出発します。その時に立ち寄ったのが日本でした。日本に滞在した際に、ある日本人女性に恋心を抱いたらしいです。そんなこともあってか、今でも東京の日比谷公園にホセ・リサールの銅像が置いてあります。日本とも縁があったのですね。

再度フィリピンに戻ったリサールですが、フィリピン同盟を結成したことでまた反逆者の濡れ衣を着ることになります。そしてミンダナオ島に流刑されます。

その後、キューバへと向かうさなかに捕らえられ、マニラへ送還されて銃殺されてしまいます。くしくも、ボニフォシオがフィリピン独立革命を始めたばかりの時でした。フィリピンが独立を求めていく過程で重要となる人物が、リサールの他にアンドレス・ボニフォシオとエミリオ・アギナルドがいます。リサール亡き後に、この2名が活躍していくのですが、それはおいおい書いていきたいと思います。

ホセ・リサールが軍事会議にかけられて、公開処刑される際には多くの民衆が集まったそうです。マニラのリサール公園に行くと、リサールが実際に銃殺された場所にその銅像が建てられています。歴史を追いながら、公園を散策してみるのも楽しいでしょう。

フィリピンの近代史は、スペインとの関係と切っても切り離せません。情熱の国スペインだけあって、その植民地だったフィリピンからも、情熱的な人物がたくさん登場してきます。フィリピンに行った際には、愛と情熱に燃えるリサールの人生を追ってみると楽しいと思います。

投稿者: 海外侍 義貞

こんにちは。海外侍の義貞です。Cebu Samurai Warriorsの管理人です。 このサイトでは効率的な英語学習とフィリピン・セブ留学、オンライン英会話の有効性などをメインに紹介していきます。TOEIC 885点。主にユーロ圏との貿易仕事をしているのでマルタ島にも興味あります。シェアリングエコノミー、AI、データサイエンスを駆使した農業も行っていく予定。

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