サン・ファン・バウティスタ号と慶長遣欧使節団と伊達政宗


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Hope you are well. 海外侍の義貞です。

今日は、サン・ファン・バウティスタ号に関わる歴史を見ていきたいと思います。

16世紀以降の大航海時代、スペインとポルトガルは競って植民地開拓を行っていました。未知なる世界を求めて航海に出たマゼランやコロンブスなどは、「新世界」であるアメリカ大陸やオーストラリア大陸などを発見していきます。

当時、スペインとポルトガルの2大パワーが対立して争わないように、両国は「トルデシリャス条約」を結びました。これにより領土の分割はローマ教皇の承認を得ることがお墨付きとなりました。

なかなか面白いと思うのは、スペインとポルトガルだと航海ルートが違うのと、その航海の延長線上に自国の勢力圏を獲得していたことです。また、海洋都市ジェノバから船出して頭角を現すクリストファーコロンブスですが、スペイン王室と「サンタ・フェ契約」を結び、発見した土地で得られる利益を自分の取り分としていました。

スペインはマニラを拠点とし、マニラ・ガレオン貿易で利益をあげ、ポルトガルはマカオとマラッカをその手中に収め、拠点としていました。

そんなウハウハな状態のスペインだったわけですが、マニラで日本人にキリスト教の指導を行っていたのが宣教師ルイス・ソテロです。日本ではフランシスコ・ザビエルくらいしか教科書で習いませんが、ルイスもザビエル同様にイエズス会から派遣されてきた布教者です。数年のうちに日本語を習得した語学の天才だったようです。

フィリピンから総督ドン・ロドリゴと共に来日し、通訳を務めます。このルイス・ソテロが当時の仙台藩主であった伊達政宗と出会います。いわゆる「独眼竜政宗」ですが、彼はかなりの海外侍気質の持ち主で、キリスト教に寛容で、海外との貿易も求めていました。

そこで政宗は支倉常長(はせくらつねなが)を抜擢し、ルイス・ソテロと共に「慶長遣欧使節団」を立ち上げます。そして団をフィリピン、メキシコ、スペインへと送るために作られた船が「サン・ファン・バウティスタ号」です。

サン・ファン館HPより抜粋

慶長遣欧使節団の航海経路を見ると、当時としてはかなりの遠洋航海になります。

この時代にすでにアメリカ大陸に渡り、ヨーロッパまで行った日本人がいたということが驚きではないでしょうか。政宗がいかにグローバル・マインドの持ち主であったことも分かります。加えて、遠洋航海を達成できる船を建造してしまうところに日本人の技術の高さもありますし、それを成し遂げる支倉常長のバイタリティも半端ではない。

その後、徳川幕府は禁教令を布き、支倉常長は日の目を見ることなく終わってしまうのですが、伊達政宗が天下人になっていたら、当時からグローバルな日本になっていたかもしれません。歴史にIFはないのですが、IFを想像してみたくなるお話しです。

参照:サン・ファン館|宮城県慶長使節船ミュージアム 

https://www.santjuan.or.jp/index.html

投稿者: 海外侍 義貞

こんにちは。海外侍の義貞です。Cebu Samurai Warriorsの管理人です。 このサイトでは効率的な英語学習とフィリピン・セブ留学、オンライン英会話の有効性などをメインに紹介していきます。TOEIC 885点

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