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長崎奉行と島原の乱

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Photo by Inge Wallumru00f8d on Pexels.com

どうも、海外侍の義貞です。

さて、本日は久々に歴史の回にしたいと思います。以前、仙台藩主である伊達政宗がいかにグローバル・マインドの持ち主であったかをご紹介しました。

https://bit.ly/3lFptg6 サン・ファン・バウティスタ号と慶長遣欧使節団

https://bit.ly/3lF4NF5 遣欧使節団とスペイン

また、キリシタン大名であり、最後は秀吉によって追放されてしまった高山右近を紹介しました。

大航海時代の当時、交易とキリスト教の布教を目的としたポルトガルやスペインが世界の覇権を握っていました。つまり、海外との貿易を行う=キリスト教に触れるということだったのです。

https://bit.ly/3gfCImE フィリピン同時代史、ゴア、マラッカ、ザビエルとキリスト教

またフランシスコ・ザビエルのように宣教師たちも次々とアジアの地を訪れ、現地での宣教活動に専念しました。そんなこともあり、九州を中心にキリスト教が広がっていきました。というのも、当時は南蛮(東南アジアや西欧諸国)との貿易を行い、海外へ飛翔する日本人も多くいました。

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東南アジアへと船で出向する際には、長崎奉行が主にそういった活動を取り締まっていました。奉行とは今でいえば役人です。この当時は多くの日本人が東南アジアへ赴き、アユタヤやマニラで日本人街を作ったのです。

しかし、日本で徐々にキリスト教が広まっていくにつれ、時の権力者たちはそれを恐れるようになっていきます。というのも、当時は士農工商の階層があり、武士が一番偉いとされており、その下に農民たちがいました。しかし、キリスト教は神の下に皆平等を唱えます。つまり、西欧的な概念を広めてしますのです。

それを恐れた武士や役人たちは、農民に重い年貢(今でいえば税)を課したり、キリスト教徒を取り締まるために有名な「踏み絵」をさせます。それによりキリスト教徒や農民たちは生活苦に陥っていきます。

そのことに心を痛めたのが、「天草四郎時貞」です。そして、長崎奉行に対して、反乱一揆を起こします。それが「島原の乱」です。この乱は農民たちによって起こされますが、日本の歴史上最大規模の一揆だったようです。

この反乱に驚いた幕府はその後、ポルトガルなどの外国勢を排除し、また海外にいた日本人を国に戻すことを禁止します。そして、オランダや中国などとの貿易を一部認めるいわゆる「鎖国」にしていくのです。