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傭兵の歴史

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どうも、海外サムライの義貞です。

僕は海外を放浪する事が好きな事もあり、傭兵に興味を持っていました。

傭兵とは、(ようへい、英: mercenary)は、金銭などの利益により雇われ、直接に利害関係の無い戦争に参加する兵またはその集団である。weblio辞書:傭兵(ヨウヘイ)とは何か?より

実をいえば、日本は傭兵の輸出国だった歴史があります。

そもそも日本列島には十分な資源や土地はなく、山林に囲まれ、輸出するものはあまりない国でした。

戦後のオートメーションの進展のなかで自動車の生産や鉄道などのインフラの拡大が進み、経済大国であり輸出大国だという認識が定着しましたが、それ以前の日本はさして海外に売るものがない国だったのです。

そんな中でも、人はそれなりにいました。封建的な近世の世の中では、戦国時代などは特にいつでも合戦が行われていました。その当時は各地方のどの大名に仕えて戦うかということが武士たちの命運を決めていたわけです。

大名に仕えて「御恩と奉公」をするわけですが、敗れても生き残る武士たちは存在するわけです。そういった武士たちは傭兵化していきます。つまり、契約や金銭のために働くのが傭兵たちです。

自分に利害関係はないが、そこに戦いがあるのであれば参加していくのが傭兵たちです。日本人の傭兵として一番有名なのが、アユタヤの日本人街を仕切った山田長政でしょう。

日本人旅行者がタイ旅行をする際に行くのがアユタヤですが、アユタヤは王朝時代の軍事力と貿易の拠点でした。繁栄していたアユタヤの絶頂期に日本人街をまとめていたのが山田長政であり、アユタヤ王から王女との婚約さえ認められたほど、当時のタイではお雇い傭兵として最高の人物だったのです。

現在タイ(それ以外の国でもそうですが)で、そこまで活躍できる日本人はほぼいません。そこまでの競争力を有しているのは、おそらく日本のプロ野球選手くらいかと思います(タイは野球はメインスポーツではない)。

フィリピン・ルソン島にも、インドネシアに日本人武士たちが日本人街を形成していましたが、彼らの多くはキリシタン(キリスト教徒)でした。長崎から朱印船に乗って、東南アジアへと向かい開拓していったのです。

その流れは、戦前の大陸浪人(アジア主義者)たちへと繋がっていきます。そして、福岡が非常に重要な場所になっていくのですが、それはまた次回の歴史の回でアップします。

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