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憧れのスペイン・アンダルシア、繁栄したイスラム文化、シェリー酒、フラメンコと闘牛

white concrete buildings next to a cliff
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What’s up, guys! 海外侍の義貞です。

かつて繁栄した帝国スペイン。僕にはスペイン人の友人がいることもあり、スペインの文化にも興味があります。以前、スペインのお酒『サングリア』やスペインのダンス『フラメンコ』について取り上げました。

太陽の国の飲み物”サングリア” https://bit.ly/3c5nhgL

女性だけのダンスではないフラメンコ https://bit.ly/2Y70rNB

長らくスペインの植民地となってきてフィリピン。東南アジアの群島にキリスト教を広めただけでなく、中国との貿易の中継地に使い、メキシコとのガレオン貿易を行い繁栄しました。このガレオン貿易に使用されたガレオン船の名前が「サン・フランシスコ号」であり、もともと米国のカリフォルニア州はメキシコ領だったことも関係があります。なのでフィリピンのスペイン文化は、メキシコのそれに近いものであるとされています。

フィリピンの代表的な家庭料理アドボは、スペインの肉料理“アドバード”を原型としているとされますし、フィリピンの不動産開発会社アヤラ・コーポレーションはスペイン系の財閥企業であったりします。アヤラ・コーポレーションについては次回のブログで書きたいと思います。

今やフィリピンもメキシコも、スペインよりもアメリカの方が重要な国になりましたが、それは世界覇権がスペインからアメリカに移ったからに他なりません。

さて、それは横に置いて、現在のスペインでは何かとカタルーニャが話題になっていますが、僕が注目するのはアンダルシアです。

イスラム王朝が繁栄したエキゾチックな都

このアンダルシア州には、北アフリカからやってきたイスラム勢力によって王朝が打ち建てられ、圧倒的な繁栄がなされました。特にコルドバという都市は、イスラム王朝の都となり、エキゾチックな文化が生み出されています。レコンキスタと呼ばれるキリスト教勢力の再征服が行われるまで、このコルドバはヨーロッパの中心ともされる場所だったのです。

グラナダという市には、アルハンブラ宮殿と呼ばれる城塞、宮殿があります。僕は城とか要塞、モスクや教会が好きなこともあり、ここは生きている間に一度は訪れてみたい場所です。

また、スペインの文化であるフラメンコや闘牛などは、このアンダルシア地方から出てきているようであり、やはり多様性の中から新しい文化が生まれてくることを現しています。

シェリー酒もこのアンダルシア州で生産されています。シェリー酒は白ブドウのみが原料の白ワインで、この地方のみで作られる酒精強化ワイン(醸造過程でアルコールを添加することでアルコール度数を高めたワイン)とのことで、興味深いですね。

参照:シェリー酒ってどんなお酒 

スペインのアンダルシア州は多くの魅力に溢れています。フィリピンのように日本から気軽に行ける距離ではないですが、いつかは一度訪れてみたい場所です。

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シリーズ③カトリックの源流-フィリピンとキリスト教

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どうも、海外侍の義貞です。

フィリピンの文化は、統治者であったスペインの宗教、食文化、建築様式を取り入れて発展してきました。現在のスペイン人は、フィリピンに対してほとんど何の関心もないですが、その文化・様式は東方にある群島国家の中で根付いています。

スペインをはじめとする大航海時代の冒険家たちが、自国離れた遠い島国の形を変えてしまったという点で衝撃的です。その島にキリスト教を普及させたという点も興味深いです。

以前からブログで取り上げていますが、安土桃山から戦国にかけては南蛮貿易が行われ、多くの南蛮人たちが長崎港に寄港して日本で交易を行うとともに、日本全土で布教を行いました。

昨年はコロナもあり、行きたかった長崎に行けなかったのですが、可能なら今年は長崎に行って港や教会を見て回りたいです。サン・ファン・バウティスタ号と支倉常長が船出した仙台も見て回りたいですね。

カトリックとは、普遍を意味します。多くの哲学は神学から敷衍して出てきていることもあり、キリスト教に興味を持っています。

10代後半から20代前半の若かった頃、自分の人生の意味や価値、あらゆるものの存在の意義に対してよく分からなく混乱して、自分を見失っていました。人ごみの流れの中で、自分が孤独で不安な存在なんだと感じていましたが、そういう時でも教会というのは誰に対しても扉を開いていてくれます。

ロンドンの凍りつくような寒さの中で、教会に入った時に暖かく安らいで、可愛いらしいおばあさんがお花を供えながら、こちらを向いてHelloと言ってくれました。それだけでイギリスを好きになったものです。

このシリーズでは、なぜフィリピンでキリスト教が普及したのかを考えていきます。そもそもフィリピン人はマレー系で、マゼラン来航以前はアラブの商人の活躍などから、このリージョン(地域)ではイスラム教が主流でした。ながらくスペインに統治されて、アイデンティティまで変えられたのは、キリスト教の普及も関係していると思います。

そのようなコロニアル(植民地的)な関係とフィリピンでのキリスト教についてアップデートしていきます。

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フィリピン歴史③建国の父ホセ・リサール

リサール公園の銅像

どうも、海外侍の義貞です。

フィリピン歴史③ということで、今回はホセ・リサールの話です。ホセ・リサールはフィリピン人にとって史上最高の英雄とされている人物です。スペインの圧政に、明晰な頭脳をもって立ち向かった革命家でした。

南米の革命家といえばチェ・ゲバラですが、フィリピンの革命家といえばホセ・リサールです。チェ・ゲバラは戦略的な武闘家という感じですが、ホセ・リサールは「ペンは剣よりも強し」のような知的なインテリゲンチャでした。またフィリピン人らしく、世界中の様々な国の女性と恋愛するルパン的な要素を兼ね備える人物です。

ホセは、スペイン領東インドだった時代、中国人とフィリピン人の混血の家族の元に生まれました。祖先を遡ると日本人もいるとのことですが、本当なのかわかりません。小作農として農学を学び、土地測量などの技術を学んでいたリサールですが、母親が病気になったことを期に医学を学ぶことになりました。孫文とかチェ・ゲバラもそうですが、医者って革命家になりますね。

スペイン語も堪能だったリサールは、スペイン政府からも評価され、宗主国であるスペインへ留学することになりました。留学時には医学と哲文学を学び、ヨーロッパのあらゆる言語を取得、日本語や中国語すらも学習したそうです。スペインのマドリードでの留学が彼に気づきを与えました。フィリピン人がスペイン人に劣っているわけではない、足りないのはただ教育の機会だと。

そこからリサールは、小説を書いて民衆を啓蒙し、スペイン支配からの脱却を目指していきます。しかし、フィリピンに戻ってきて出版した小説がスペイン支配層の目にとまり、再度リサールは留学に出発します。その時に立ち寄ったのが日本でした。日本に滞在した際に、ある日本人女性に恋心を抱いたらしいです。そんなこともあってか、今でも東京の日比谷公園にホセ・リサールの銅像が置いてあります。日本とも縁があったのですね。

再度フィリピンに戻ったリサールですが、フィリピン同盟を結成したことでまた反逆者の濡れ衣を着ることになります。そしてミンダナオ島に流刑されます。

その後、キューバへと向かうさなかに捕らえられ、マニラへ送還されて銃殺されてしまいます。くしくも、ボニフォシオがフィリピン独立革命を始めたばかりの時でした。フィリピンが独立を求めていく過程で重要となる人物が、リサールの他にアンドレス・ボニフォシオとエミリオ・アギナルドがいます。リサール亡き後に、この2名が活躍していくのですが、それはおいおい書いていきたいと思います。

ホセ・リサールが軍事会議にかけられて、公開処刑される際には多くの民衆が集まったそうです。マニラのリサール公園に行くと、リサールが実際に銃殺された場所にその銅像が建てられています。歴史を追いながら、公園を散策してみるのも楽しいでしょう。

フィリピンの近代史は、スペインとの関係と切っても切り離せません。情熱の国スペインだけあって、その植民地だったフィリピンからも、情熱的な人物がたくさん登場してきます。フィリピンに行った際には、愛と情熱に燃えるリサールの人生を追ってみると楽しいと思います。

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「ユナイテッド・アイランズ・オブ・マハルリカ」がフィリピンの新しい国名??

どうも、義貞です。

今日はフィリピンの新しい国名の可能性に言及したいと思います。ブログでフィリピンの歴史を記述してきていますが、フィリピンは長らくスペイン領でした。「スペイン領東インド」という名前が付いていたくらいです。

ヌエバ・エスパーニャとは、スペイン帝国の副王領を表す言葉ですが、「新スペイン」という意味もあるようです。16世紀というと、日本では戦国時代あたりですが、信長とか秀吉が天下統一を目指していた頃に、スペインはすでに世界に帝国を築きつつありました。だいたい14世紀頃から大航海時代が始まりますから、日本では室町に入ったくらい?私、義貞はすでにいなかったでしょうか。

ヨーロッパ、アメリカ、アジアを結ぶ貿易網(前回話したガレオン貿易)、そしてカトリック・キリスト教の強制的な布教を行い、メキシコやフィリピンはその支配下にありました。

アメリカのフロリダも、元はスペイン領だったそうで、そう考えると広大なエリアを支配下に置き、強大な権限を有していたことが想像できます。

なぜスペインが強大な力を持ち、南アメリカやアジアまで支配することができたのかといった考察に、ジャレド・ダイアモンドの著書「銃・病原菌・鉄」という本が参考になるので、リンクを貼っておきます。興味がある方はぜひご一読ください。

さて、実はフィリピンという国名はスペイン王のフェリペ2世から来ています。自分たちのアイデンティティに関わる国名にスペイン国王の名前を使っていることに驚きますよね。どれだけスペインの影響力強いんだよ。

そんなこともあって、現大統領のロドリゴ・ドゥテルテ氏から国名を変更したいという要望が出てきているそうです。ドゥテルテ氏は強権でありながら、愛郷心の強い人物だけあり、スペインやアメリカの影響ということに異議を唱えています。そのため、スペインの影響を払拭したいということなのでしょう。

彼が唱えている国名は「マハルリカ共和国」。もともとは昔の大統領であるマルコス大統領が名づけようとしていた国名のようです。「マハルリカ」とはマレー語で「自由」を意味したり、サンスクリット語で「気高い」ことを意味するそうです。

また、他の議員からは「ユナイテッド・アイランズ・オブ・マハルリカ(マハルリカ合島国)」という案が出ているらしいのですが、それって「ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカ(アメリカ合衆国)」から来てる感があり過ぎじゃない?と思ってしまいます。それこそアメリカの影響でしょう。

他方で「国名に拘ってないで国民の貧困改善や雇用創出をしろ」という正論も出ているようですが、国名を変えるというのも一大行事ですよね。というか、なぜ今?

ちなみに、メキシコの場合は、アステカの一言語であるナワトル語で「メシトリの地」を意味するそうです。そう思うと、メキシコの方がフィリピンよりも一枚上手のようですね。しっかり自分たちの名前を付けている。

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フィリピン歴史①ガレオン貿易

ボホール島にあるスペイン人たちの銅像

どうも、セブ侍の義貞です。

今日は歴史の話を。というのも、「義貞」なる名前を自分に付けているくらいなので、歴史に興味を持っています。日本史も、世界史も勉強することが好きでした。過去の世界の出来事を知ることで、今の世界の成り立ちを理解するこができ、さらに未来への眼差しを持つことができます。

グローバリゼーション1.0である大航海時代を特に興味深く見ています。もちろん、遠洋航海技術をヨーロッパが発展させたことで、未知なる大地とその地でのキリスト教布教を目指して海を渡るというとロマンがありますが、現実的には略奪と支配という醜い側面もあったでしょう。

フィリピンという国を考えると、やはり植民地としての歴史を見ていく必要があります。とくにスペインとの関係は非常に興味深い。今に至るフィリピンの歴史が見えてきます。

スペイン国王の援助を受けたマゼラン艦隊が、16世紀に太平洋を渡りフィリピン諸島にたどり着きます。当時は大航海時代ですから、アメリカ大陸を発見したクリストファー・コロンブスも航海を行っています。マゼランはポルトガル人、コロンブスはイタリア人で、当時最強を誇っていたスペイン王国と関係があるようです。

その後、スペインは艦隊を続けてフィリピンへと送り、レガスピが初代総督となります。レガスピはセブ島に拠点を置いてフィリピン諸島の征服に着手します。

同時進行でウルダネタ将軍は、 ヌエバ・エスパーニャ (アステカ帝国を征服した後のメキシコからアメリカ、キューバまでまたがる大帝国)を設立し、メキシコシティを首都としました。

レガスピはマニラをスペイン領東インドの首都と定め、そこからマニラとメキシコのアカプルコを繋ぐ交易ルートが開かれ、ガレオン船によるガレオン貿易が始まるのです。

マニラから香辛料や陶器などの品物がアカプルコへ送られ、経由してスペイン王国へと送られていました。このように歴史を俯瞰して見てみると、交易のルートを握る者が世界の覇権を取ることがよく分かります。

加えて、交易というのは世界のダイナミックな動きを感じられる非常に面白いビジネスです。フィリピンとのルートがあったからこそ、スペインはより一層繁栄できたことは間違いないでしょう。

フィリピンの歴史は、アジアにありながらメキシコやスペインとの関わりが強い国なのです。