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シリーズ③カトリックの源流-フィリピンとキリスト教

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どうも、海外侍の義貞です。

フィリピンの文化は、統治者であったスペインの宗教、食文化、建築様式を取り入れて発展してきました。現在のスペイン人は、フィリピンに対してほとんど何の関心もないですが、その文化・様式は東方にある群島国家の中で根付いています。

スペインをはじめとする大航海時代の冒険家たちが、自国離れた遠い島国の形を変えてしまったという点で衝撃的です。その島にキリスト教を普及させたという点も興味深いです。

以前からブログで取り上げていますが、安土桃山から戦国にかけては南蛮貿易が行われ、多くの南蛮人たちが長崎港に寄港して日本で交易を行うとともに、日本全土で布教を行いました。

昨年はコロナもあり、行きたかった長崎に行けなかったのですが、可能なら今年は長崎に行って港や教会を見て回りたいです。サン・ファン・バウティスタ号と支倉常長が船出した仙台も見て回りたいですね。

カトリックとは、普遍を意味します。多くの哲学は神学から敷衍して出てきていることもあり、キリスト教に興味を持っています。

10代後半から20代前半の若かった頃、自分の人生の意味や価値、あらゆるものの存在の意義に対してよく分からなく混乱して、自分を見失っていました。人ごみの流れの中で、自分が孤独で不安な存在なんだと感じていましたが、そういう時でも教会というのは誰に対しても扉を開いていてくれます。

ロンドンの凍りつくような寒さの中で、教会に入った時に暖かく安らいで、可愛いらしいおばあさんがお花を供えながら、こちらを向いてHelloと言ってくれました。それだけでイギリスを好きになったものです。

このシリーズでは、なぜフィリピンでキリスト教が普及したのかを考えていきます。そもそもフィリピン人はマレー系で、マゼラン来航以前はアラブの商人の活躍などから、このリージョン(地域)ではイスラム教が主流でした。ながらくスペインに統治されて、アイデンティティまで変えられたのは、キリスト教の普及も関係していると思います。

そのようなコロニアル(植民地的)な関係とフィリピンでのキリスト教についてアップデートしていきます。

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フィリピン歴史②スペインの支配に立ち向かう首長ラプラプ

どうも、義貞です。

今日はフィリピンの歴史について、また書いていきます。前回はガレオン貿易について説明しました。16世紀の当時、世界の覇権はスペインにありました。無敵艦隊とされたスペインは、大航海時代の恩恵を受けて、大西洋を越えてメキシコ、太平洋を越えてフィリピンをその支配下に置き、アカプルコとマニラを結ぶガレオン貿易を行い、ヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)を達成しました。

洋の東西支配をしたスペインはフィリピンをスペイン領東インドとして活用していきます。スペインの支配は長く続きますが、しかし支配が長ければ長いほど、必ずその支配を覆す革命家が登場するのが歴史の面白いところです。それがフィリピンの英雄であるホセ・リサールなのですが、その前に今回はマクタン島の首長ラプラプの話をしたいと思います。

ガレオン貿易が本格的に始まる前のフィリピンの首都はセブでした。それは、マゼランが到達した場所がセブであり、そこからフィリピンの近代史が始まっていくのですが、マゼランはキリスト教の布教に熱心であり、セブ王たちは比較的寛容にキリスト教を受け入れていったようです。サントニーニョ教会にはサントニーニョ(幼きイエスの像)がありますが、マゼランがセブの女王に贈ったものとして有名であるように、飛ぶ鳥を落とす勢いでキリスト教に改宗させています。

そんな中でも、キリスト教への改宗と服従を拒否した人物がおり、それがマクタン島の首長ラプラプです。部族の首長であり、イスラム教徒であるラプラプは、マゼランの要求を拒否ったことで怒りを買い、マゼランはマクタン島に攻め込みました。そして「マクタン島の戦い」が始まります。

マクタン島の地理や潮の満ち引きを知り尽くしていたラプラプは、周到な戦略を練り、マゼラン軍を迎え撃ちます。海岸付近に船を停めることが難しくなったマゼラン軍は船を下りて戦うことになりましたが、そこでラプラプたちは返り討ちにしました。そしてマゼラン軍を退却させるまでに至るのです。

その抵抗と勝利によって、ラプラプは英雄とされています。マクタン島の最大都市はラプラプ市と命名されていまし、ラプラプという名前の魚もいますし、なにより現大統領ドゥテルテがラプラプの日というのを4月に設けて称えています。

スペインの侵略に立ち向かい、打ち勝ったという歴史はピーノ・プライドを刺激するものなのかもしません。