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南蛮貿易と長崎港

vessels moored in harbor of modern urban city
Photo by Ryutaro Tsukata on Pexels.com

どうも、海外侍の義貞です。

世界的に人の流れが止まった世界でも、今まで流れてきて定着したものは変わることはありません。加えて、食・物・宗教(思想)の流動は止めることができない。

中華やイタリアンを食べたくないというという日本人は、あまりいないのではないかと思います。そもそも洋服を着て、映画館に行くなどの行為すら西欧から取り入れた様式であって、それ以前の時代の生活様式で生きたいという人は少ないでしょう。

また日本の場合、資源やエネルギーを海外から購入しているので、全く海外との関係を断って今の生活を維持することはできません。つまり、海外を取り入れることで豊かになれるし、海外との関係を断つことはできないということです。

島原の乱が勃発して、日本が鎖国に入る以前の戦国の世の時は、織田信長に限らず地方の武将や大名たちも海外に関する知識を貧欲に取り入れていました。以前、ご紹介した仙台藩主である伊達政宗は、グローバルな視野の持ち主でした。

https://bit.ly/3lFptg6 サン・ファン・バウティスタ号と慶長遣欧使節団

また、信長によって許可された南蛮貿易によって、ポルトガルやスペインから西欧の珍しい文物が入り込み、日本からは銀が交換されて繁栄したようです。

その当時の中心港が長崎港であり、ポルトガル人やスペイン人は東南アジアに植民地を形成していたため、マレー半島マラッカ(ポルトガル)、フィリピン・マニラ(スペイン)の南方面からやってきたので『南蛮貿易』と呼ばれています。

当時、日本は東南アジアとの交易が活発で、多くの日本人が貿易船にのって東南アジアへと渡り、現地で日本人街を作っていきました。有名な人物がタイ王朝の首都アユタヤで活躍した山田長政です。

島原の乱の勃発でキリスト教の広まりを危惧した幕府が、その後は海外にいた日本人の帰国を完全にシャット・ダウンして『南蛮貿易』は終わりを迎え、鎖国時代へと入るわけですが、鎖国期間中に外で力をつけてきて西欧諸国との力の差が歴然となり、力で開けられることになりました。

https://bit.ly/2XxiMmo 長崎奉行と島原の乱

南蛮貿易の時代には、スペインが最強だったとはいえ、日本は植民地にはなっていません。つまり、スペインとうまくビジネスやってたということなのだと思います。フィリピンは国名までスペイン名をつけられてしまいましたが、日本は南蛮貿易で繁栄しました。

平和的に交易を行うという方が国が発展します。交易は相手あってのことなので、海外を理解することがやはり大事になるのだと思います。

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貿易業界を変革するFlexport

Photo by Kaique Rocha on Pexels.com

どうも、義貞です。

先日、横浜港について書きましたが、やはり自分が好きなのはオープンな港町。セブとかシンガポールとか香港が好きです。ベトナムでいえば、ハイフォン港やハロン・ベイ、ダナンなどが好きですね。

アメリカでいえば、サンフランシスコ。今やサンフランシスコは年収1000万あっても貧困層みたいなこと言われるほどに住居が高騰していますが、、、そんなスタートアップの聖地から登場した困難な問題に取り組む注目企業を紹介したいと思います。


Flexport CEOのインタビュー

Flexportはグローバル貿易をより効率的にするプラットフォーム企業です。もともとテクニカルなバックグラウンドを持っていたライアン・ピーターセンが今だに紙ベースで業務が行われる貿易業務をデジタル化なプラットフォームを使って効率化しようと試みたところから始まります。

実際に貿易業務を行う私としては、それはかなり共感できます。貿易業務は書類の送付や貨物の追跡などリアルタイムでスピーディに実行されているかといえば甚だ疑問なのですが、昔から行われていることが今でも行われています。昨今のデジタル化と在宅勤務の推進で日本の判子文化もだいぶ変わってきていると思いますが、貿易業務では扱う書類も多く、そのたびに判子を押しています。

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フィリピン歴史①ガレオン貿易

ボホール島にあるスペイン人たちの銅像

どうも、セブ侍の義貞です。

今日は歴史の話を。というのも、「義貞」なる名前を自分に付けているくらいなので、歴史に興味を持っています。日本史も、世界史も勉強することが好きでした。過去の世界の出来事を知ることで、今の世界の成り立ちを理解するこができ、さらに未来への眼差しを持つことができます。

グローバリゼーション1.0である大航海時代を特に興味深く見ています。もちろん、遠洋航海技術をヨーロッパが発展させたことで、未知なる大地とその地でのキリスト教布教を目指して海を渡るというとロマンがありますが、現実的には略奪と支配という醜い側面もあったでしょう。

フィリピンという国を考えると、やはり植民地としての歴史を見ていく必要があります。とくにスペインとの関係は非常に興味深い。今に至るフィリピンの歴史が見えてきます。

スペイン国王の援助を受けたマゼラン艦隊が、16世紀に太平洋を渡りフィリピン諸島にたどり着きます。当時は大航海時代ですから、アメリカ大陸を発見したクリストファー・コロンブスも航海を行っています。マゼランはポルトガル人、コロンブスはイタリア人で、当時最強を誇っていたスペイン王国と関係があるようです。

その後、スペインは艦隊を続けてフィリピンへと送り、レガスピが初代総督となります。レガスピはセブ島に拠点を置いてフィリピン諸島の征服に着手します。

同時進行でウルダネタ将軍は、 ヌエバ・エスパーニャ (アステカ帝国を征服した後のメキシコからアメリカ、キューバまでまたがる大帝国)を設立し、メキシコシティを首都としました。

レガスピはマニラをスペイン領東インドの首都と定め、そこからマニラとメキシコのアカプルコを繋ぐ交易ルートが開かれ、ガレオン船によるガレオン貿易が始まるのです。

マニラから香辛料や陶器などの品物がアカプルコへ送られ、経由してスペイン王国へと送られていました。このように歴史を俯瞰して見てみると、交易のルートを握る者が世界の覇権を取ることがよく分かります。

加えて、交易というのは世界のダイナミックな動きを感じられる非常に面白いビジネスです。フィリピンとのルートがあったからこそ、スペインはより一層繁栄できたことは間違いないでしょう。

フィリピンの歴史は、アジアにありながらメキシコやスペインとの関わりが強い国なのです。