沼津港


どうも、義貞です。

港シリーズということで、フィリピンとは何の関係もない(意外にあるかも)ですが、書いていきたいと思います。

港というと、響き的にはけっこう古臭い感じがしますよね。海は広く、寛大なだけではなく時には厳しく恐ろしいものです。潮の匂いや照り返る日光に、水も排水が混じっていれば綺麗とはいえません。コンテナなどがないころは、人が荷卸し、荷揚げしていたわけなので大変な仕事です。

加えて、港というのは様々な国から船が到着する場所であると共に、島国日本にとっては国境のような場所なので、「国防」という観点からも管理しなければならない場所です。そのため、港というのはハードな場所なのです。

日本もフィリピンも海洋国家なので、魚をよく食べます。自分も魚や海鮮系が好きということもあり、今回は静岡県の沼津港に行ってきました。

静岡県の神奈川県よりにある沼津港。箱根からも比較的近いです。北には富士山、南には駿河湾が広がる伊豆半島の入り口にあります。ここはアジの干物が有名で、生産量は日本一を誇っています。

大型船が停泊する外港と、漁船が停泊する内港に分かれているようです。私が行った時は、多くの人でにぎわっていました。主に地元あるいは他の市からの人々だと思います。

ふらーっと入っていったお店で、定番の沼津丼を頼み食しましたが、たっぷりのっかった小エビの下には炊き込みご飯がしかれていて、混ぜで食べると美味しかったです。静岡は地酒も盛んのようで、静岡県内の数々のお酒が紹介されていました。

あいにく天候がすぐれなかったので、富士山を見ることができませんでしたが、東海道について考えるよいきっかけになったと思います。駿河湾沿いの沼津市や富士市が中核都市になり、静岡側からの富士を見ることができます。

フィリピンの富士と言われるマヨン・ボルケーノがあるレガスピにはまだ行ったことがありませんが、今度ルソン島に行くことがあればぜひ行ってみたいと思います。

港町シリーズ


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どうも、義貞です。

自分はフィリピン・セブが好きなのですが、なんでセブが好きなのかを考えると、一つはオーシャンビューが好きなこと、オープンで開放感があって人々がフレンドリーで、世界の広がりを実感できること。まだまだ貧しさ残るフィリピンであっても、そこに共同体があること。日本に閉塞感があるというけど、それは自分たちで鎖国しているからで、世界を見渡せばそんな閉塞感などはない。人々の生活があり、そして特にアジアは劇的に豊かになってきています。

加えて、港というのが好きというのもあります。港に行くと、この場所は世界と繋がっていると感じられます。日本にいると「国境」を感じられないので、自分たちとは違った世界が存在しているとなかなか実感できないのですが、港にいけば色々な国から貨物を載せた船がやってきます。世界には様々な国があると実感できます。

ジェノバ、サンフランシスコ、釜山、ウラジオストク、青島、神戸、いろいろな港が世界に向けて物を送り出している。日々の生活の中で、海外で生産され送り出されたものを私たちは活用しています。典型的には、洋服などそうでしょう。ユニクロで服を買えば、だいたいメイド・イン・チャイナ、ベトナム、バングラデシュでしょう。世界と自分たちの生活は切り離すことはもはや不可能です。

セブで英語を勉強したことで、ヨーロッパ人ともアメリカ人とも英語で会話することを恐れることはなくなりました。彼の地でも、通常の会話であれば問題なく遂行することができるからです。たとえば、アメリカに住んでビジネスで成功できる英語力があるかと言えば、それはないでしょう。しかし、貿易などのビジネスでは今も問題なく英語を活用できています。だから、セブが自分の世界を広げてくれたことに大変感謝しています。

話がズレましたが、これから日本、世界各地の港を訪れてまわりたいと思います。そして各地の港の歴史を取り上げていきます。直近では、富士の麓、富士市に行ってきます。静岡県は沼津港や清水など海に面しており、やはり富士を見たいというのがありますしね。

イスラエルで愛されるフィリピン人介護士とハイテク農業の輸出


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どうも、義貞です。

今日はイスラエルとフィリピンの関係について書きたいと思います。日本人にはあまり馴染みのないイスラエルですが、向こうからすると日本人は珍しいのか声をかけてきます。

マニラの空港でGrabの配車を頼もうとしてスタンドに向かった時に、イスラエル人たちの集団に遭遇しました。そこで「君は日本人か?」と声をかけられましたが、フライトの後で疲れてたので、「そうだ」と言ってさっさと離れました。

なんでイスラエルからわざわざフィリピンに来てるのかなと思いましたが、どうやらイスラエルとフィリピンは意外にも繋がりが出来ているようなのです。

まず、両国はアメリカへの愛が強い。ドゥテルテ大統領はアメリカに対して強気な発言をすることがありますが、それでも他の議員や国民は基本的にアメリカ好きです。イスラエルも似ており、ネタニヤフ首相もかなり強権的ですが、一般的にはアメリカ好きな姿勢です。何かの調査結果で見ましたが、両国が圧倒的にアメリカを支持する数値をたたき出していました。

2点目は、フィリピン人介護士が非常に重宝されているという点です。前のブログで「香港でメイドとして活躍するフィリピン人」を書きましたが、今やその勢いは中華圏を超えて、先の中東地域までたどり着いています。フィリピン人はカトリック教徒ですがイスラエルのエルサレムにはキリスト教の聖地もあり、かつイスラエル人は英語も話せるため、英語が話せてホスピタリティが高いフィリピン人は非常にありがたい存在なのです。

日本人は、フィリピン人が話す英語を「なまりがあって、、、」といいます。自分たちが英語話者でもないのに、フィリピン人の話す英語をなまりだのなんだの言うこと自体、上から目線だと思いますが、香港やイスラエルにはそのような感覚はありません。そんなことよりも機能的に合理的に考えて、女性の社会進出が強い両地域では、フィリピン人メイドや介護士がいてくれることが有り難いのです。

そして3点目は、イスラエルのハイテク農業の技術をフィリピンは必要としているということです。イスラエルは非常に革新的な農業手法を生み出しました。そもそも乾燥地帯にあるイスラエルは農業に見合った土地ではありません。しかし、それでも区画あたりの収穫量で日本を圧倒的に凌駕しているのは、『ドリップ灌漑』という新しい生産手法を行っているからです。これを説明すると長くなるので、またの機会とします。

前回のブログで紹介しましたが、フィリピンのパラワン島周辺はスールー王国というイスラム系の王国が支配していました。ブルネイを見てお分かりになるように、スールー海峡周辺は天然資源の宝庫なのです。その発掘のためにもイスラエルの最先端の技術を必要とします。ドゥテルテ大統領はミンダナオ島の出身です。記事で上げてきているように、ルソン島にあるマニラの影でミンダナオ島は苦難の歴史を歩んできています。彼の気持ちを考えれば、何としてもスールー近辺での資源を発掘し、ミンダナオ島側の方に富を持っていきたいとなるはずです。

ミンダナオ島は肥沃な土地であり、フィリピンの中で最大の都市面積を有したダバオがあります。農業の宝庫でもあると同時に、日本人にとっては縁の深い場所なのです。

今後もイスラエルとフィリピンの関係を注目したいと思います。

造船と船員とフィリピン人


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どうも、義貞です。

私(拙者)は貿易業に身を置いており、イタリアとやり取りすることが多いのですが、イタリアでのコロナウィルスの拡大によってやはり影響が出てきます。手洗い、予防に励みつつ、イタリアでも早期に静まることを願っています。

さて、クリストファー・コロンブスはジェノバの商人で、彼が新大陸アメリカを発見したと言われています。ジェノバはまさに今、私がやり取りしている場所なので感慨深いです。ちょうど南フランスと北イタリアの結節点に近い場所にあります。何世紀にも渡り海上貿易によって栄えてきた都市です。

フィリピンセブのダウンタウンの大通りはコロン・ストリートと呼ばれていますが、その名もコロンブスに由来しているようです。歴史を感じさせます。世界史好きな私にはたまりません。

貿易とは非常に古くからある産業です。日本も戦後は加工輸出によって急成長しました。そして日本の貿易の大部分は船舶での輸送が主です。近代以降は鉄が産業の主流となり、海外との貿易のために造船業が栄えました。フィリピン南部のミンダナオ島にある中核都市ダバオに一時期多くの日本人が住んだのは、マニラ麻の収穫が船を港に繋ぎ止めるロープを作るのに適していたからです。

今や産業構造の変革が起こったため、日本では造船業は衰退を辿っていますが、フィリピンは発展途上国のため、現在でも造船業が盛んです。マクタン島からセブ島へと橋を渡る際に、海には多くのコンテナ船が止まっているのを見ることができます。

造船の作業員、港、船員などで多くのフィリピン人が活躍しています。フィリピン人女性がメイドや看護師として活躍するように、フィリピン人男性は船員や建設員として活躍しています。また、その得意のホスピタリティ精神でクルーズ船のクルーなどもだいたいフィリピン人です。

なんといってもフィリピンは海洋国家なのです。フィリピン人には海が似合います。

カジノとエンタメとフィリピン人


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こんにちは。海外侍の義貞です。

フィリピン人は派手なものが好きです。何事も派手にやる。おそらく見栄っ張りという性格があると思います。英語では見栄をきることを、”Show off”といいますが、まさにフィリピン人はshow offな人たちです。

マニラにはド派出なモール・オブ・エイシアのような巨大モールもありますし、今や巨大カジノ群の集積場所となっています。

そもそも、フィリピンは戦後カジノは違法でした。しかし違法カジノが跋扈したこともあり、時の独裁者であったマルコス大統領は1970年代に公式にカジノを認めます。

そこから今に至るまでフィリピンのカジノ業は大きく躍進してきています。アジアのカジノといえば、マカオ、シンガポール、韓国などが有名ですが、今ではマニラがその一角に食い込んできています。

ちなみにカジノは英語ではCasino(カシーノ)と言いますので、海外でカジノと言ってもWhat?となります。

そして、今、フィリピン人にも日本人にも話題を集めているのが、超巨大カジノリゾート「オカダマニラ」です。最初フィリピン人から教えてもらった時は、なんの事かさっぱりわかりませんでした。オカダマニラ、オカダマニラと言われても、現地の日本の会社なのかなと思って検索したらドバイにあるような、まばゆい光を放つリゾートの写真が目に入り驚愕しました。

マニラ湾沿いにこんなリゾートが出来ているとは、しかもオカダマニラってなに?という感じです。このマニラ湾沿いには有名ホテルが軒を連ね、オカダマニラ以外にも巨大カジノが屹立しています。この驚くべきshow offぶり。

フィリピン人は、エンターテイメント性に溢れる人たちです。クルーズ船の乗員やバーの歌手なんてどこでも大抵フィリピン人でしょう。ホスピタリティ満載で、人を楽しませるのが好きな人たちですが、時にイラつくほどにshow offしてくる感じがあります。

国土面からいっても、タイのような労働集約的な産業(自動車や家電の製造)に向かないのは分からないでもないが、マニラをなんか好きになれないのは、こういうところなのかもしれません。

豪華客船やカジノや巨大モールとエンターテイメントを否定することはしませんが、倹約を是とするキリスト教精神はどこある?と思ってしまいますね。

フィリピン、グアム、ハワイとアメリカ


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どうも、義貞です。

今回はスペイン帝政の時代から少し時を巻き戻していきたいと思います。どんな帝国も永遠に繁栄することはありません。帝国は少しずつ内部から壊れていき、そしてドラスティックに変わります。帝国が衰退する際には、また新しいパワーを持った国が出現してくるのが歴史の常です。

フィリピンとメキシコを繋ぐガレオン貿易によって大繁栄を築いたスペインですが、大航海時代の競争は激化し、イギリスやオランダ、フランスなどの勢力が拡大していきます。それとともに、メキシコやフィリピンでは独立を求める声が徐々に大きくなり、フィリピンでは革命家のホセ・リサールやエミリオ・アギナルドなどが登場してきます。

メキシコがスペインから独立を果たすと、いよいよスペイン帝国は崩壊していきます。新大陸アメリカをめぐる戦いが激しくなっていくとともに衰退し、アメリカ自体が新しい国家として台頭した時には、スペインは覇権国の地位を退かざるを得なくなります。

19世紀には米西戦争が勃発し、フィリピンもそれに巻き込まれます。フィリピンは海洋国家で、太平洋にむき出しで面していたというところに不幸があります。19世紀の戦いは海洋国同士の覇権争いであり、アジアから太平洋に出ていくまさに絶好の場所にフィリピンはあるのです。

スペインとの戦争に勝利したアメリカは、グアムとともにフィリピンを獲得します。アギナルドもせっかく米国に協力してスペインに勝ったと思ったのもつかの間で、さらに米国から支配されるという時代に突入するのです。大航海時代が終わり、帝国主義と植民地主義の時代が始まります。

ハワイも、グアムも、フィリピンも圧倒的な力によって米国の軍門に下ります。スペインからアメリカへと最強の帝国に立て続けに支配されるという本当にアンラッキーな歴史を歩んでいるフィリピンです。

多数の島数によって統一国家としての体を成せず、繁栄のおこぼれをもらえるマニラと抑圧によって怨念が溜まるミンダナオという歴史も作られてしまいました。マニラの中心であるマカティでホテルに泊まると、悲しいくらいアメリカナイズされているのを感じることができます。アメリカナイズされていて、明るくてフレンドリーで、しかし融通が利かないところがあり、それでいて緩い空気感がありながら、どことなく危険な感じを覚えるマニラ。

セブに対しては素直に好きな場所と言えるのですが、マニラに対してはちょっと微妙な感じになってしまう。クアラルンプールやバンコクなど他の東南アジアの大都市と比較しても、なぜか違った空気を感じてしまうのは、やはりフィリピンが独特の歴史を経てきているからなのでしょう。

Englishフレーズ①what’s the difference


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どうも、義貞です。

今までフィリピンにまつわる様々なトピックについて書いてきましたが、よく考えるとこのサイトはフィリピンでの英語留学についてです。

まだ英語学習についてほとんど書いていない、、、。なので、少しは英語学習についてのトピックを上げていきたいと思っています。

なぜ英語学習についての記事を書くモチベーションが低いかというと、英語学習向けサイトなんてネット上に山ほど溢れているからです。なぜか日本では、英語を話せることが何か特殊なことであるように未だに思われており、英語できる=頭いいみたいな確固たる固定観念が存在していることにほとほと疲れ果てるからです。

もし、あなたが真剣に英語を学習したいのであれば、このサイトでなくともインターネットの海の中から如何様にも優れた学習サイトや留学紹介サイトを発見することができると思います。しかし、それでもなぜ多くの日本人が未だに英語に苦手意識や変なコンプレックスを抱いているかといえば、ただ単に「日常的に」英語を使用する機会がないからです。

加えて、国民の多くが英語を本当に必要としているのでしょうか。外国人観光客の対応にしても、そこまで完璧な英語は必要ありません。正直なところ、大部分の人にとっては中学英語で十分、外国人との会話を行うことができようになるのです。そうではなく自分の考えの細かいとこまで外国人と会話できるようになりたいと思う人だけが、英語を真剣に学習すればいいのです。

前置きが長くなりましたが、今後は英語初級者の方でも使える便利なフレーズをシリーズ形式で紹介していきたいと思います。これは、完全に私の独断と偏見です。ネイティブや非ネイティブたちとの会話の中で、自分が「使いやすいな」と思ったフレーズをシリーズ化させていきます。

私はプロの英語講師ではありません。なので正確な文法や発音を期待される方は、別の学習サイトで学習することをおススメします。しかし、仕事柄ネイティブとも非ネイティブとも英語を使ってやり取りする機会は持っていますし、学校でも勉強したけど、このフレーズはリアルでも使えるな、というものを知っています。そのようなフレーズを教えていければと思います。

栄えある初のシリーズは、”What’s the difference” です。

これはめちゃくちゃ使えます。特に英語教師に対しては、このフレーズを多用して質問することをおススメします。英語には、同じ意味の別単語というのが数多くあります。意味が完全に一緒ではないけど、近いニュアンスのものというものも多くあります。例えば、Across と Cross、AlmostとMost、ListenとHear、LookとWatchなど日本語にすると一緒の言葉になるが、意味が異なるという単語です。

そのような時に使うフレーズが、”What’s the difference”です。これは、What’s the difference between A and B ? というような聞き方をします。What’s the difference between A and B ? は、「AとBの違いってなんじゃい?」という意味になります。What’s the difference between Look and Watch? のような感じでAとBの部分に比較して聞きたい単語を入れて聞けばよいです。そのように聞けば先生が、Look is more likely the word describe …. のように説明してくれるでしょう。

私がこのフレーズで学習するのが好きなのは、一石二鳥だから。What’s difference between A and B ? A is – , B is -と1つの質問で二つの回答を得ることができます。なので、なんか効率的に得した気分になります。また、単語を比較させて覚える方が、1つずつ単語を覚えるよりも早いはずです。なので、英単語を調べる似た言葉に遭遇した時は、このwhat’s the differenceを頭に思い浮かべましょう。

webliboなどで英単語を検索すると、センテンスでどのように使用されているか書いてあります。そこで使い方を覚えて、実際に使ってみるというのが大事です。何事も自分で使ってみないと慣れていきません。英語を話せるようになるかどうかも、大抵は慣れです。なので、機会を持ってフレーズを駆使していきましょう。

遣欧使節団とスペイン


宮城県石巻市にあるサン・ファン・バウティス号

どうも、義貞です。

新型コロナウィルスの拡大によって、海外旅行どころではなくなっている昨今ですが、春先にかけて静まることを祈りつつ、このブログをアップデートしていきます。

先日、電車内のニュースで、宮城県石巻市にある慶長遣欧使節団の帆船サン・ファン・バウティスタ号の復元船が老朽化のため解体されることになり、その保存を求める親書がスペイン市長から送られてきていることを知りました。

慶長遣欧使節団とは、今から約400年前、仙台藩主伊達政宗が仙台領内でのキリスト教布教容認と引き換えにノビスパニア(メキシコ)との直接貿易を求めて、イスパニア(スペイン)国王およびローマ教皇のもとに派遣した外交使節です。

慶長遣欧使節団について https://www.santjuan.or.jp/history.html

ブログで取り上げていますが、大航海時代を支配したのはスペインとポルトガルですが、ポルトガルはインドのゴアからマレーシアのマラッカ、そして中国のマカオを通過して日本の長崎に辿り着きました。慶長遣欧使節団はマカオを通って、欧州へと向かっています。

スペインはマニラとメキシコのアカプルコを結ぶ『ガレオン貿易』を展開しており、どうやら仙台藩主伊達政宗は当時キリスト教を容認と引き換えに、メキシコとの貿易を求めていたようです。その交渉のために、慶長遣欧使節団をスペインへ派遣したようなのです。

この歴史は非常興味深いですが、次の長期休みにはぜひ宮城県に行ってみたいと思っています。スペインとの貿易交渉のために外交使節団を送ったという歴史が宮城県には残っており、使節団はマカオを辿っています。そして、スペインとの関係でいえば、必ずフィリピンとも何かしらの接点があるはずです。それほど、当時のスペインは強大であり、フィリピンはスペインの領土だったのです。

長期の休みを通して、アメリカのサンフランシスコに行く予定がありますが、サンフランシスコは聖サンフランシスコから由来しているとともに、ガレオン貿易で使用された船はサン・フランシスコ号です。

様々な歴史が点と点を結び、繋がっています。歴史を読み解くことが、複雑化された現在を読み解くカギとなります。今回のニュースを見て、そんなことを感じました。

時代は繋がっている。日本、フィリピン、スペイン、メキシコ、アメリカの歴史がそのことから読み解ける。現代とは複雑ながらも、非常に楽しい時代であるとわかります。

マニラと長崎とローマ・カトリック


静かな教会

こんにちは。義貞です。

皆さんは、作家の遠藤周作原作、マーティン・スコセッシ監督の映画「沈黙」を見たことがありますでしょうか。長崎の隠れキリシタンを題材にした作品ですが、以前からブログで取り上げているように、大航海時代の当時はスペインやポルトガルなどの西欧諸国が新大陸を目指して船出し、香辛料の獲得とキリスト教の布教を行いました。

日本では、織田信長は比較的キリスト教に寛容であり、南蛮貿易などで西欧の物を取りいれていきました。その当時の強国であったスペインは西回り、ポルトガルは東回りで世界周航を行いました。ポルトガルはインドのゴア、マレーシアのマラッカ、中国のマカオを経て、日本の九州に辿り着きます。特に長崎は港町であり、海外との接触点が多い場所でした。布教者たちはまず長崎や熊本などでキリスト教の布教に努めていきました。

先日、ローマ法王が長崎の地を訪れたように、ローマ・カトリックと長崎は縁が深い場所なのです。もともと日本にローマ・カトリックを広めたのはイエズス会のフランシスコ・ザビエルです。九州にキリスト教信者が多いのはそのためでもあります。

フィリピンの場合は、マニラを中心にスペインによって布教をされたわけですが、スペインにしてもポルトガルにしても、カトリック教国ですし、ローマ・カトリックに繋がります。この歴史は非常に興味深いです。

私は、この2020年を通して、このテーマを追っていこうと思っています。まずは長崎の地へと向かいたいと思います。「英語留学」から離れますが、フィリピンの面白さは「英語」だけに留まりません。その歴史を通して、グローバル化を考える良いきっかけにもなります。

セブビーチ③オスロブ


穏やかに泳ぐジンベイザメ

こんにちは。義貞です。

今日はセブのビーチについて紹介します。前回紹介したモアルボアルもセブ観光の定番地ですが、セブに来た時に行ってほしい場所がセブ東南部のオスロブです。

オスロブまでは、セブからバスで3時間ほどで行けますので日帰りで帰ってくることも可能です。綺麗なビーチがあるのは当たり前のこととして、オスロブが良いのはジンベイザメと泳ぐことができるということです。

ジンベイザメは世界最大の魚です。サメと名前がついてますが、穏やかな生物です。ジンベエザメが主食とするのは小さなプランクトンたちです。大きな口を開けて、通り道にいるプランクトンとその周りにいる小魚たちを丸のみするように食べていきます。

フィリピンの良いところは、このように自然や海、魚に溢れている点です。人々はいわゆる「文明」から離れた静かな暮らしをおくっています。そのことで不便さはあるでしょうし、経済発展から取り残された貧困もあるでしょうが、オスロブなどでゆったりした時間を過ごし、夜空澄み渡った星空を見ると、自然溢れるフィリピンはいいなと感じます。

ぜひオスロブでフィリピンの自然を体感して下さい。